ある不登校児にとっての担任教諭

何かと機会をいただいて勉強させてもらっている昨今ですが、書いておきたいことがありましたので記事にしておきたいと思います。

そもそもの始まりは、鎌倉市図書館の関係者の方がTwitterに書かれたツイート。これはTwitterを利用しているなら目にした方も多いと思います。その内容や背景についてはここでは書きません。

https://twitter.com/kamakura_tosyok

しかし、この記事を書くに至った直接のきっかけは養護教諭向けの雑誌の方が書かれた一連のツイートです。要約しますと、養護教諭の方が保健室登校や別室登校などについて、これまでもどんな苦労をしてきたのか、図書館を逃げ場所とする子らの話が出たこの機会に知ってもらいたという旨のツイートです。

https://twitter.com/nomadoshobo

私も中学時代に別室登校の経験があるのですが、私自身が養護教諭の方の現状について書けることはありません。それはあまりに複雑で、私のような者がただ経験があるからといって下手に触れられないからです。

では何について書くかといえば、当時の担任教諭についてです。この方はF教諭とします。このF教諭は私が卒業するまで担任だった方なのですが、私が教室でお会いしたことは数える程度です。私は中学時代、ほとんど教室に通っていないからです。別室登校をしたのもほんの一時期で、大半は登校自体をしていませんでした。

不登校の理由については色々あったように記憶していますが、ひたすらに混乱していたというのが正しいように思います。子供は一度でも疑問に思ったことがあったら、それを解き明かさないことには前に進めないんです。でも周りの大人はどうしてもそれを無視して、普通の子でいてほしいと願います。私自身、子供の面倒をみるようになった今ではその気持ちもよくわかります。しかし、当時の私は、両親の態度にも学校の在り方にも、何もかもにも、ただ戸惑うことしかできず、朝になれば足は硬直し、学校に向かおうとすれば吐くことさえありました。混乱していたとしか表現できません。

小学校の頃は市側から派遣される方々のサポートなどもあって勉強していましたが、中学時代は通信教育などで自主勉強をひたすらしていました。私はあるラジオ番組で勇気付けられて2年生の時点で高校進学の意志を固めてはいましたが、当然、内申点の問題がありました。

ここでようやくF教諭の話になるのですが、私が進学したい意志があるのだと確認したF教諭、テスト勉強に必要な範囲のプリントを自宅まで何度も持ってきては都度都度に「受けられるときだけでもいい。別室でもいい。学校に来るのは辛いと思うが、進学したいのなら頑張ってみてくれ」と私を説得して、私もその期待に何とか答えようと頑張ってみました。

結果として私は、地元の工業高校に進学することができました。それからの3年間、片道10キロの自転車通学以外にも苦しいことはたくさんありましたが、生徒会長職を任せられる程度には人並みに頑張ることができました。

当時も漠然とした感謝の気持ち、何より「先生の期待に応えられた」という達成感があったわけですが、大人になってから改めて振り返ってみて、「私がF教諭だったとして、あれほど一人の生徒に時間をかけられただろうか?」と思うと、冷や汗が出ます。F教諭には奥さんも子供もいて、生徒にも家庭のことを話すような温和な方でした。その方が多くのものを犠牲にしながら、私の将来のためにエネルギーを注いでくれたわけです。

私の与り知らない場所で色々なご苦労もあったはずで、申し訳ないと思うと同時に、一人の素晴らしい御仁に出会えたことに、ただただ頭を垂れたくなります。

そうした方がいなければとりこぼされてしまう生徒がこの世の中には何人か確実に存在しているのだということ、そしてその仕組みは現在でもあまり変わっていないこと、それどころか社会から教員にかかる負担は増してさえいること。それらについて、思い出した機会に形に残しておくべきなのではないか。そう思ってこの記事を書いてみました。

もう随分前のこととはいえ、どうしてもぼかさざるを得ない点が多く、不明瞭な点が多い記事となってしまいました。それでもここまで読んでいただいたことに感謝を述べて、記事の終わりとしたいと思います。ありがとうございました。

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