備忘録「オタクについて語るために」

Twitterで書き散らかすのには適さない話題なのでブログの記事として書きます。

私も30歳を越えるまではあまりこれといった考えがまとまらなかったんですが、近頃気付いたことがあり、備忘録として残しておきます。別に何かを代表するわけでも学識の裏付けがあるわけでもないことですので、その点はご理解の上でお読みください。

結論を先に書いてしまうと、「オタクという言葉はテレビっ子とあまり変わらんのかな」ということです。「かな」が結論に入ってるのがいかにも備忘録です。投げっぱなしです。まあ徒然と結論までの流れを書いていきます。

私が生まれた80年代前半というと、一家に一台テレビがあるような状態でした。私も親が撮影してくれた写真を見ると、テレビの前であぶぶあばばという具合に小憎たらしい顔をして遊んでおります。

ほんで、この頃には家庭用ゲームもファミコンのおかげで子供に親しみやすいものになって、2014年現在じゃ娯楽の大きなウェイトを占めてます。ドラマやアニメは再放送枠も含めてアホみたいに見ましたね。いやあ、楽しかった楽しかった。

で、こういう楽しみ方したのって別に私だけじゃないですよね。いわゆるオタクとか特別視される人だけでもない。生まれた頃からあった当たり前のものを楽しんでたに過ぎなくて、むしろ外で遊ぶことの方が不自然なぐらいでした。

「子供は外で遊ぶものだ」というのは教育的意味はありますが、教育的意味がある=自然ではないのは誰もが頭に入れておく必要があることです。例えば幼年野球。私もやってましたよ。おかげで今でも体を動かすのが好きです(プロ野球はあまり興味がないのですが)。でもそれは親や近所のおっちゃんおばちゃんの薫陶のおかげであって、家でごろごろテレビ見てる方が楽ですし、自然なことでした。

そんで、中学に入った頃から、アニメとか熱心に見るようになりました。刺激的な映像、音楽、ぐりぐり動くロボット! 娯楽として何より格好良く見えた。別にオタクだからとかいう自尊心があって見てたわけではないです。そういうのは本人にとっても後付けですわな。

これはもう抜け出すとかのめり込むとかいう次元じゃなくて、娯楽の枝葉として至極当然伸びたものなんですよ。私の兄は私と違ってアウトドアばりばりな人ですが、名探偵コナンとか特定のものは今でも大好きで、劇場版を見返すこともしばしば。専門チャンネルを垂れ流してる時期もありました。

で、私が20歳を越えた頃から世間では「ライトオタク」とか言われるような方々が出てきたんですが、これ自体いまひとつピンとこなかった。所詮は程度の問題じゃないかと。もちろん自分が好きなものをいい加減に扱われたら腹は立ちますが、そんなのは他のことでもあります。

一方で、「オタクは儲かる」とか「オタクの街秋葉原」とかオタクという言葉はどんどこ使われる範囲が広がっていきました。それまでは蔑称とまではいかずとも「あいつオタクなんだぜ」という否定的な意味合いばかりでした。兄も「自分の弟がオタクとか嫌なんだよな」と冗談交じりに私に言ったことがありますが、私も気持ちは理解できました。世間一般でいう「オタク」に自分があてはまるということは、中学の頃の私にとってはストレスでした。

それが現在では、あまり気にせずにオタクと言えるわけですね。キモオタとかいう言葉も出てきましたが、逆にいえば「キモイ」をつけないとオタクをキモイものとして呼称できなくなってきてるんだなあと。

ここで忘れない内に、萌えについても触れておきます。

オタクと萌えの違い、というのはあまり考えてこなかったんですが、よくよく考えると、後者はすごく限定的で、しかもある程度は対象物が定義されてるんですよね。おそらくかつては「オタク的な」という言い方でうる星やつらのラムを定義できたんでしょうが、今では無理です。萌えやそれ以外の定義が出てきた段階で、オタクという言葉に定義のための価値は失われたんじゃないかと。萌え豚という蔑称がありますが、あれもオタクでは伝わらない蔑みを持ってきてる感があります。

クールジャパンなんてのも近年は出てきましたが、あれがやや上滑りしてる感じが強いのは、誰も彼もが、それこそオタク自身も「オタク(的なもの)という商品がある」と思い込んでしまってるからではないか。4Kやエコのような明確に商品として売り出せるものではなく、生まれた頃から周囲にあったテレビや漫画を結び付けて需要喚起の層をある程度まで絞った「オタク」というのは、それだけじゃ定着しようが無いんじゃないかと。その点でいうと「メディアミックス」というものを言葉としても方法としても定着させた企業の功績は計り知れないものがあると思います。

こういった諸々のことを総合すると、「上の世代がオタクの定義付けをしてこなかったことが責任」とかいうのもなんか違うんじゃないか、とか考えが広がってきて、「でもなー、こんなのTwitterでいつもみたいにだーらだら書いたら絶対誤解されるよなー」ということでここに最初の結論を書き出すに至りました。

以上、長々とした文書で申し訳ありませんが、今現在というよりは数年後辺りに読み返して笑ってもらえればと思います。ご意見ご感想はいつでもお待ちしております。

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