いなかなれども、ここにあり


急に暖かくなってきました。今シーズンは一度も雪下ろしをしないまま終わりそうです。雪が降る度に雪かきはしていたんですが、それでもここ10年で考えるとかなり楽な冬でした。一方、今年はやることが多いので、こうしたブログなどではこまめに何かしら書いていこうと思います。

この3月11日で東日本大震災から3年になりましたが、私は特別な境遇にあるわけでも、何かメッセージを伝えられる経験があるわけでもありませんので、卑近な事柄から書こうと思います。

発生当初から新潟県へ避難される方があり、私の関心も自然とそちらに向いてきました。細かな数字は報道発表用の資料がネットで簡単に見付かりますから、割愛します。

そうした中で復興や東京オリンピックの話題にも触れるわけですが、そうした強烈に希求されるものとは別に、ひしひしと感じることが増えてきました。

それは「働きに出る場所があるって大事なことだな」ということ。仕事だけじゃなく勉強のために、自分や家族が移動できる、そうした選択肢を確保できること。避難者といえば簡単ですが、具体的には職場や学校、家族、それぞれの要素をバラバラにされてしまった方々です。

避難先で高校を出て就職した方、帰還するために故郷との間で必死に調整している方、そんな気にはなれない方、色んな面影があります。ともあれ、そうした方々が住む場所を選び、仕事を選ぶために、あるいは純粋な勉学を欲するために勉強し、家族や友人との時間を持てる、持とうと思える場所の確保。これは今現在、直接の被害は無かった自分自身の住んでいる場所でもできる、それでいて気の遠くなる事柄です。

しかしながら、中越地震などでもそうでしたが、仕事や住居が決まることで段々と自分の日常を見付けていく人達を見てきた後で改めてこうした災害を眺めてみれば、身近な場所の住み易さが人を招き寄せられる魅力になるように感じます。

私事で恐縮ですが、私も東京や首都圏の方々との付き合いがなかったら、こうしてブログに長々と文章を書く余裕を持てないままに過ごしていたはずです。ネットによる強烈なグローバル化だけでなく、もっと単純な人の移動、言葉のやり取り、それらが非才の私を助けてくれましたし、今もそうです。

ここ最近は「東京の人間は震災なんて他人事」といった言葉も聞きます。その細かな意味合いは千差万別でしょうが、私は東京の人は東京での生活こそ大事にしてもらいたいです。「あいつは嘘つきだ」「復興なんてまやかし」「いや復興こそが」と言うのは簡単ですが、疑心暗鬼に陥るだけです。その先にあるのは、結局は誰にとっても住み辛くなった東京です。

出稼ぎや上京の対象として東京というわかりやすい例が頭にあるわけですが、規模こそ違えどどの都市にもどの季節にも人の移動はあります。

たとえほんのいっときの気晴らし、観光でも、「よく来てくれました。ここは良い所ですよ」と迎えられる自分を形作るために、努力したい。私が書きたかったことというのはそんな、まったく卑近な事柄なのでした。 

ただ眠る方々の安らかなことを願って、拙文の終わりとします。

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