1年と、1年。


この平成25年の3月11日に、5月開催の同人イベントへの準備を進める中で考えたことを雑多に書かせていただきます。

「一年ってあっという間」と「一年前なのにずっと昔に感じるわ」と、その時々によって時間の感じ方は変わってくるわけですが、この一年は後者でした。

今日から一年前は何してたかといえば、東京で同人誌のイベントにお手伝いで出てたいました。ちゃんと書いておくと、「華激ノ宴(東方・幽香オンリーイベント)」です。このときイベント会場でも黙祷の時間を設けてくれたのは有難かったです。

その更に一年前は何してたかといえば、東日本大震災の当日、まあ大多数の方と同じように混乱の渦中でした。そのときもイベントのお手伝いで上京の予定があって、この年の5月に延期になった「博麗神社例大祭」です。

あのときは行くかどうか結構悩んだんですが、「イベントが無事に開かれたとしても誰かしらに迷惑がかかるよな」というのがあって、駅に行って切符の払い戻しをしてもらいました。結局、その後にイベント中止が発表されて、また後日、延期して開催という運びになりました。

まあ、例大祭については規模が規模なので私が一々言わなくても「あんときはこうだったねー」と思い返す人がそれなりにいます。

ここからが個人的な話にかかってきますが、一年前のオンリーイベントについて。

柚子桃ジャムのブログの方でも書いてますが、このとき頒布した本のシリーズを今でも出させてもらっています。ファンや仲間、何より柚子桃さんの努力とユーモアのおかげで私も色々とやらせてもらっています。

何かと自粛自粛の一年が過ぎて、大震災から一年という日であろうと「可能な限りイベントはイベントで楽しむのが大事」とばかりに開催まで持って行ったスタッフの方々には頭が下がる想いです。それに共感した人達が今でも積極的に活動しているのは、私も目にしています。

そのイベントの後、考えたことといえば、イベントに来られるかもしれなかっった人達のことでした。その後もイベントで上京すると、ホテルの一室で考え込んだりしてきました。必要以上に感傷的なものも含まれますので、ここで一々触れません。

そういう私の感じ方の一方で、この一年で瓦礫や原発についてがずっと騒がれてきました。最初の一年は誰もがショックでしたし、原発にかかるデモも「仕方のないこと」と思っていたものですが、次の一年でやはり変わってきました。

地元の新潟県でも瓦礫処理について色々ありましたし、安易に請け負ったり計画を変更したりするやり方には首を傾げますが、基本的には「復興に尽力することが結果的には原発も含めた問題への責任感を育てる」という考えが固まった一年でした。

責任感なんて曖昧なことだけで言っているわけではなく、現に避難してきている方や影響を受けた産業の話を聞いていると、「復興できる所は復興していかないと、結局は他の部分にまでシワ寄せがきてしまう」という現実があります。

事故後しばらく、瓦礫については今もですが「とにかく被災地だけで何とかする」「復興の前に考えることがある」という言説が盛り上がって、それにも意義はあったと思います。ただそれは、国全体、被災しなかった私のような人間も含めた範囲の話で、現に弱り続けている避難者や被災地の方々に沿ったものではありません。それはそれで割り切って復興の在り方を考えるのは大事ですし、そういう活動や調査をされている方の話はためになります。しかし「被災地のため。子供達のため。未来のため」と声を上げる一方で実は自分の周辺にかかる問題にだけ騒いでいる、そんな人達も大勢いたわけです。だったら最初から、そう言えば良い。それはそれで言うべきことなのですから。

原発については、村上春樹さんがバルセロナでスピーチした、これまでの在り方に対する痛烈な批判と反省を促す内容以上のものは、私が見聞きした範囲ではこの二年、出てきませんでした。そんなものはありえないとさえ今では思っています。

そういう雑多な月日の中で、イベントに対する考え方も収斂されてきました。震災によってイベント運営が難しくなったケースはもちろん、震災とは関係なく、脅迫事件で中止や部分的な自粛に追い込まれるケースもありました。

電子書籍やショップ販売がどれだけ進んでも、同人誌はイベントを主体にしてこそ価値が出てきます。イベントの方法論の中でならば、アマチュアとしても商業作家他の遊び場としても成立しますし、文化を育てる場にもなり得ると考えます。

そういう場に少しでも関われる形で活動できている自分をちゃんと見て、これからの一年一年を考えていく、行動していかなければなりません。

今日は黙祷の時間が来る前に、休み時間を利用して仕事先の近くの八坂神社に行ってきました。ここは普段からよく来ていますが、今日は一段と寒かったです。中越地震の後も、とにかく寒かったことを覚えています。

距離と時間を隔てた場所や人のことを想うのは、想像力の源泉でしょう。巨大な災害、自然の存在にあえぎながら、また生活していきます。

ここまで読んでいただけた方にとって、一歩立ち止まって考える機会になれたなら幸いです。

最後に、亡くなられた方々に改めて哀悼の意を文章で表します。

安らかに、お眠りください。

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