将棋と不登校

久々に将棋の話題に触れたら、書きたくなったことがある。

私は小学校から中学校までの九年間、ほぼ全てを不登校児として過ごした。これはサイトの方とかにも書いてあるし、たまに学校教育とかの話が出るとぽろっと言ったりしている。仔細は省くが、最終的には高校受験以降は普通に通うようになった。

で、やっぱりこういうのは小さい頃の方がわけがわかってないので、苦しかった。高校受験のときは確かに進路という問題はあったが、少なくとも「自分がどういうことをしてきて、これからは何をしなければならないのか」ということはわかっていた。

私の父親は大島村から出てきた次男坊で、結構な努力が実って同世代の人に比べたら成功していた方だったのだが、極端な所があった。末っ子ということで甘やかしてくれた記憶もあるが、ある朝、学校に行くのをぐずったとき、いつもは出社している父親がまだ家にいて、顔を真っ赤にして怒り出し、比喩抜きで学校までの一キロほどの距離を、引きずって行った。

他にも色々あったが、基本的に父親には感謝している。山や人の温かさを教えてくれたのは紛れも無く父親だったし、今は苦悩も理解できるからだ。ただ、人には取り返しのつかないこともある。それだけのことだろう。

まあそんなこんなで初期の頃はどうして自分が父親にここまでされて、母親まで辛い顔をして接するのかさっぱりわからず、とにかく放っておいてほしかったのだが、世の中上手いことできてるもんで、市の方から不登校などの問題を抱えた子供を相手にする人が来るようになった。

最初の一人目や二人目の方は全く覚えてない。先ず、この時点で「大人は俺にとって理解できないもの」になっていた。大人はわかってくれない、とかではない。大人が理解できなかった。そういう自己の強さも影響していたのかもしれないが、はっきり言ってわからない。

それであるとき、何人目かは細かく記憶していないが、五十後半かそれ以上の年配の男性が来た。基本的に教育機関の方なので、イメージとしては普通の先生と変わらない。

挨拶ぐらいはするようになっていた私は、適当に終わらせてさっさと引っ込もう、なんて子供特有のずるい考え方をしていたわけだが、そのとき相手の先生が取り出したのが将棋盤だった。

それまでの方々は私がどう考えているかとか、友達のことばかり聞いてきて、正直うんざりしていた。子供だって時間はちゃんと持っている。その時間を奪っている自覚が大人には無い。教育しているつもりだからだ。その教育がその子供に合っている内は良いが、子供がそれから外れた途端、隠れていた刃が子供を傷付ける。予定表を切り分けるように、子供を切り分ける。

ところがその先生は、ただ、将棋を打とう、と言った。私はそもそも将棋なんてやったことも無い小学校低学年の子供だったから、その先生を嫌うとか以前に、将棋を嫌うことすらできなかった。

で、やってみると、全く勝てない。駒の動かし方がわかっても勝てない。先生が何度目かに来たとき、ようやく手筋が出来ないと勝てないことがわかってきた。先生は私に将棋の本を渡して、その日は帰って行った。

「自分一人でやっていいんだ」

そのときの感動は今でもどこかに残っているのだろう。タイプする手が震える。

失礼ながら、私はその先生のお名前を記憶していない。母親は覚えているかもしれない。

その後、私はN先生という生涯に渡って影響を残し続ける方と出会って今こうして偉そうに文章を打っている。

高校受験のときも、仕事に躓いたときも、「一人でやっていいんだ」の精神はずっと私を励まし続けている。まだ玉を取れるような日は来ないが、一手一手を打つ楽しさと怖さを、味わって生きている。

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