振り返って

ずっと疑問だったのが、どうしてこうも都条例改正の件で表現の自由の話と区分陳列の話が密着してしまったのだろう、ということ。

「改正される条例の文言では表現の自由が脅かされる」という出版社や漫画家、「区分陳列だけだから問題ない」と最高裁の判決などを通じて説明する都や都議。本来この二つの意見は、条例改正の結果起こりうる可能性と、都側の施策としてどういうものが想定されているか(そのための運用をどうするか)という、似て非なる見解から起こっていて、どちらもその行為自体に妥当性が著しく欠けているということは無いように思います。

遡ってみると、改正案の可決は平成22年12月ですが、その直前にあった『青少年健全育成条例改正案における漫画等に関する質疑について(平成二十二年第四回都議会定例会本会議)』と、その更に前、平成22年の11月後半に出版社や漫画家、各団体による反対声明が集中した件、これら一連の出来事の期間が短すぎること、そして、それを受けて石原都知事が記者会見を通じて批判する旨の発言をしたことなどが、やはり主要因なのだろうと思います。

可決直前には角川書店社長の井上氏が東京国際アニメフェアへの出展を取りやめる旨の発言をし、可決後、具体的にアニメコンテンツエキスポの開催も決まりました。蛇足になりますが、井上氏はフライデーの記事で、東京国際アニメフェアと同時期の開催になったのは他に会場が開いている期間が無かったから、という主旨のことを答えています。実際、この時期のイベント会場は空いていることが多いようで、イベント開催が決まるまでの時間を考えると、そう変な話ではないでしょう。

さて、この間に出版社以外の漫画家の方々などに特に動きがあったかというと、無かった。ここが非常に重要な点だと思う。私の記憶だと「冷静に可決後の動きを見守りたい」といった主旨の発言をしている方々はいました。石原氏の同性愛者に対する差別発言などについての意見はそれなりに見ましたが、これは性質の異なる話なので、深刻な問題ではあるのですが、区別します。もちろん私は一般人で、実際に漫画家の方々が会合などを持っていたかどうかを知る術は無いし、そうした点は差し引いてもらえればと思います。

前述した都議会定例本会議での質疑において、条例改正の目的と区分陳列の範囲について触れられたものの、採決までの時間が無く、しかもそれがほぼ確実とみられる情勢の中、実際に影響を受ける可能性の高い関係者の方々は冷静に事態を見守らざるを得ませんでした。その一方で、他の事象が目立ってしまった。ここで注意していただきたいのは、出版社には出版社の考えや立場があるということです。一概にそれを否定できるだけの根拠を私は有しません。

ではこの結果、何が起こったかというと、表現の自由の問題と、改正された条例がどう運用されるかの問題とが、密着、あるいは混同されてしまったようなのです。ようなのです、と弱気な書き方をするのは、これがあくまでも私がそう見ているというだけだからです。そう見ることで今現在の混乱や行き違いが説明できるのではないか、というのがこの記事の出発点なわけです。こうした混乱があることは当初から危惧はしていましたので、くどい面も多いかと思います。

これがどう問題なのかといえば、都条例自体の理解が進まないという点はもちろん、どうして出版社や漫画家、各団体が表現の自由について敏感なのかという点についての理解までもが進まない要因となるからです。表現の自由についてはそれこそ何十年と続いて来ていることで、その時々で問題となることは違います。

岐阜県の自動販売機での有害図書販売についての最高裁判決などは今回の件でも何度も取り沙汰されていますが、他の例はいくらでもある、ということです。お忘れになっている方もいるかもしれませんが、講談社の週刊現代が数年前に相撲の八百長についてすっぱ抜いたとき、これについての裁判でも表現の自由について触れられたりしています。他にも個人が覚えている範囲で該当することはあるかと思います。なお八百長について取り上げたのは「こんな所でも話題にならざるをえないこと」の一例だからで、他意はありません。

私が当初から「表現の自由に囚われないよう」といった主旨のことを書いたりしているのも、こうしたことが影響しています。それでも私自身、勘違いや行き違いがあり、ご迷惑をかけてしまった例もあったと思います。こうした記事を書く一方、「表現の自由」について過剰な反応が起こるのも仕方ないことではある、とも考えています。その上で、少しでも自分を含めて、それぞれの事物についての理解が進めれば良いのですが。

最後に、ここの所、こうした記事ばかりになってしまったことを、お詫びしたいと思います。私自身、仕事や活動などで報告したいことはあるのですが、その一方で、こうした表現に関する問題についてもきちんと考えていきたいのです。ただ、その意気込みがかえって学ぶことの妨げとなることもあります。実証をないがしろにして言葉を重ねれば重ねただけ、嘘を吐く可能性も大きくなるからです。

また何かあれば書くとは思いますが、出来る限り、活動報告や日々の出来事などを伝えられるよう、努力させていただきます。

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