孤独について

先日書いたように、訳注が加地伸行氏のものを、論語を読み直すために使っている。といって、別に氏の訳注がどうたらとか、とてもじゃないが考えられない。

論語に限らず儒教関連の書籍を読み直していて興味深いのは、中庸などについての考え方だ。

中庸や仁というと、ついつい「至上のもの」と考えたくなるんだけど、色々と勉強してくると、「それらを余りに普遍的に評価してしまうと、当時の人にとって中庸がどういう意味を持っていたのかわからなくなってしまうのではないか」という疑問が芽生えるようになった。

先日メモした「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」なども、中庸について語ったものだとされるが、論語を読んでいると言葉に感心する以上に、これ程に訴えたくなるほど孤独な社会とはどんなにか大変なのだろう、と思えてくる。論語他の文献が長らく人生哲学として用いられてきたのは、そうした残酷なほどの孤独が感じ取られるからではないのか、とも愚考する次第だ。

当時の中国は階級社会で、その後の長い期間、国政に関わる官僚は熾烈な闘争を繰り返していた(現在もそうだという指摘も耳にする)。その中で君子像というものが考え出されてきた。論語だけで突然に君子像が出来たわけでもない。論語他も、その後の研究者によって補填が繰り返され続けて、君子像に留まらない領域まで哲学を広げている。そうした情熱やエネルギーの裏側に、孤独への恐怖が感じられるというわけ。

一方で、論語をよく読むと、孔子の意外と愛嬌のある人物像みたいなものも見えてくる。それは弟子に対する言葉の選び方だったり、人に訊ねられたときの回答の仕方だったり……知識が乏しい故の誤解にしても、孤独と愛嬌の両方を私が感じ取っているというのは、あえて否定しないでおきたい。後々、反省はすることになるだろうが。

論語を読み直す前に、私は孝経を読み直したのだが、これは特に意図があったわけではない。当時の孝行についての考え方を改めて勉強したかったというだけの、漠然とした考えしかなかった。しかし、こうして論語に至ってみると、なるほど、孝経が読み易い、引いてはより哲学的だとされる理由がよくわかって、大変に興味深い。詳細については私が語っても誤解しか与えないだろうから、控えたい。

さて、かつての社会を語るとき、やはり現代についても頭では考える。私は何も、現代人も孤独なのだと、たそがれたいわけではない。真の孤独とは何だろうかという疑問の方が強いからだ。また、現代の孤独と、かつての君子が見た孤独は、同一のものでもないだろう。ましてや、私が考える孤独などは。

人口は圧倒的に現代の方が多く、コミュニケーションの手段はいくらでもあり、一応は階級社会でもない。政治家や官僚も家に帰れば、酒を飲んだり趣味をやったり、好きなことをする。仕事の幅自体も、広くなっている。それについて「君子に当たらない」として非難したところで、何の意味も無い。仕事の評価をするだけのことだ。

では、孤独とは自分から陥るもの、自分から向かっていくものなのだろうか? 孤高と似たようなものなのだろうか? それも少し乱暴に思える。

論語などでも社会から隠れる道、隠遁、隠者について触れるが、これは政治的立場によって取るべきとされる所作で、自ら孤独を選ぶような精神性にすぐ結び付けるわけにはいかない。そうしたものは、漢詩などが発達していく魏晋南北朝などの時代に入ってからのことだろうし、それでさえ、そうした文化人ばかりが君子として扱われるようになったわけでもない。のんきな詩人と評されるような人でさえ、実像は政治との距離を保つような神経の細やかさがあったりして、一概に言えたものではない。

現代社会の場合、孤独といえば精神的なもののように思える。孤独な人、という場合、その人に友人知人が全くいない状況だけを指しているものとは取らないだろう(実際そういう人もいるが)。

いったい、社会の中で孤独になるというのは、どういうことなのだろう? それがわかれば苦労はしないのだろうが、考えずにはいられない。

出自による場合もあれば、社会構造の欠陥による場合もある。失恋が原因の場合だってある。

それらは一見馬鹿馬鹿しいようにも思えるが、過去の社会より許容される価値観が広いことでもある。社会構造に問題があったとして、過去の社会ならば、階級が上の人間に救ってもらう意外にほとんど手立ては無かった。

ここで、自分を含めた誰かを、「孤独だ」と評したときの、不安な気持ち、そしてそれを一概に否定しきれない戸惑いを思い出したい。そうした発信者としての自己の認識こそ、現代に特有のもののように考えるからだ。

孤独とは、自分に語りかける瞬間のことなのではないだろうか。あるいは、そうした状況を良しとする状態、とでも言えるような。

今はこれぐらいの端っこについてしか語れる気がしない。論語に限らず、何かにつけて、よく考えることになりそうだが。

コメント