蘇東坡についてのメモ

蘇東坡詩選 (岩波文庫 赤 7-1)蘇東坡詩選 (岩波文庫 赤 7-1)
蘇 東坡 小川 環樹

岩波書店 1975-01-16
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ここの所、専ら蘇東坡(東坡居士は号。本名は蘇軾)の詩に接していて、その背景の他にややぶっ飛んだ事柄にまで思考が及んでいるのだけれども、ちょうど良い解説があったので、ここにメモしておきたいと思う。

上に載せた岩波文庫版の山本和義氏による解説より一部抜粋。
宋代の詩文が理知的な思索の表現を特徴の一つとすることはすでに述べたが、蘇軾もまた思索の人であり、ときには議論を詩としたと批判されるまでに、その思索の過程をそのまま詩に翻することをためらわない。博洽な学問に裏づけられた明確な思考力は、人生のありようを複数の視角から洞察し、ことがらを相対化して考察することを可能にしている。蘇軾の詩は唐風の如き感情の燃焼ではなく、感情すらも考察の対象とするほどに知的で平静な印象を与える。それでいてその詩が平板枯痩の弊に陥っていないのは、その思考が一つのイデオロギー(たとえば道学者流の儒の立場)によって固定化されたものでなく、老荘思想・仏教(特に禅)にも心を開き、人間のありように即してその哲学を精緻にしたからであり、ゆたかな詩藻ゆえの自在な表現力に因るであろう。またすみやかな思考はそのまま詩に翻せられて軽快なリズムを奏でている。蘇詩を読んで蘇軾その人を身近に覚えるのも、そこに因るのである。まさしく全人格のあらわな表現であると言って良い。
蘇軾は日常のごく平凡なありようを詩材にする。それは人生は平凡瑣細ないとなみこそがその主たる内実であり、その一こま一こまの価値の累積こそが人生の価値であることに覚醒するゆえである。流罪の日々すら蘇軾はそれを暗黒に塗りつぶすことをせず、小さなよろこびをも人間存在の大きなよろこびにつながるものとしてうたうのである。蘇軾は繊細な感覚で日常を捉え、鋭敏な言語感覚によって、従前の詩人にはない詩境を拓いたと言えよう。
蘇軾はまた常に成長をつづけた詩人である。初期の比喩と擬人法を巧みに用い、軽妙なユーモアを含む奔放なまでに軽快で知的な詩風は、黄州流罪の沈思の日々を経て、人間存在のよろこびをしみじみとうたって深い味わいをたたえる詩風に進む。わけても晩年の嶺南海外の諸作は、和陶詩を中心に、天地・人間の本然のありようを感得して、奥深い光を放つ精深華妙の詩境に入ったと言うことができる。
ここからは蛇足になる。

蘇東坡の詩は流石に難しいのだけれど、解説にもある通り、晩年になると、私のようなのでもすぐに感じ入れるようなものを示してくれる。また、若い頃に弟の蘇轍と共に感じ入った『夜雨対床』の風景に、いつまでも心を寄せ続ける姿を見ることになる。

幸運だったのは私が以前から陶淵明には触れていたことで、それを背景の一端として勘違いも含めて蘇東坡の詩に触れていくきっかけとなったようにも思う。

じきに、別の書籍も手元に置くので、 またメモすることがあるかもしれない。

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