古今孝子録より、新渡戸稲造の序文

古今孝子録(通俗教育普及会編)は、孝子譚について庶民向けに小説調で書かれたもの。その序文は新渡戸稲造による。それを、孝経全訳注(講談社学術文庫・加地伸行)の解説から引いた。同書解説によると、漢字は常用漢字とし、振り仮名も振ってあるとのこと。書かれた時代、序文の性格上、目障りな表現もあるかもしれないが、孝について、当時の一教養人がどう考えていたかがよくわかる。

近頃西洋の文明思想が、大層我が国に行はれてゐるが、その文明、その思想の中にも、親孝行のことを論じても居るし、また実際、西洋の生活を観ると日本と遜色のない親孝行の者もある。しかし、さういふ事は考へずに、欧羅巴の思想文明には、孝道を説かぬと思つて、日本の欧化の勢に伴つて進歩せんには、やはり親孝行などは、なくてもよいやうに思ふ者がある。しかし恐らく孝道の思想がなかつたならば、西洋といはず東洋といはず、いづくの国でも、滅亡の端緒につくこと疑いがないといつても、決して過言ではない、我輩は近頃、西洋のいはゆる近代文学とやら称する軽薄なるものが、日本の思想を大に乱していることを悲しむものである。今日の如くに、親を軽んずる如き思想が青年の間に歓迎されるやうでは、国民の前途が、実にあやぶまれざるを得ない。ここに於て、旧式的に聞えるけれども、吾輩は孝道を新に主張することを望む。孝道は何処の国にもある。ただ社会が進むにつれて、その現はれ方が幾らか変つてゐるまでである。義理であるから不得止として孝道を尽すやうな、いはば不実な孝道は吾輩の望む所ではない。義務として尽す孝道も、亦我輩の理想とする所ではない。已むを得ざるが故に親に尽すなどは、まだまだ孝道の真髄を穿つたものではない。愛すまいと思つても、愛せざるを得ない、心の深き底より起ればこそ本当の孝である。しかるに、動もすれば道徳的教訓は誠意を欠き、単に形式に流れ易い。孝行に就いても同じく、年寄つた親を養つて居さへすれば、義務を尽くしたやうな考を持つのは、孝道の何物かを知らぬものである。寒い時に着物を着せ、腹のすいたときに食はせるのが孝道の全部ではない。一体考なる文字には和訓がない。これは支那人から借りた語である。ある人は、西洋に考なる文字がないといつて非難したが、わが国にも、従来はこの語がないのである。しからば語がなければ、その実もないかといふと、西洋にも、その名なくしてその実あるが如く、わが国にも、その実がある。何処の国にも、親子相互間情愛なき所はない。而してわが国では、まことといふ一言の中に、すべての徳が含まれてゐる。このまことが、主に対して現はれれば忠といひ、友に対しては信といひ、親に対しては即ち考といふのである。さればまことは根底で、忠孝はまことの現はれる方法である。方法に重きを置けば、兎角形式にのみ流れるおそれがある。吾人の望む所は、形にあらずして実質である。しかるに今日は、形もくづれ、而してその実質が薄らぐおそれがある。この時に当つて、「古今孝子録」の如き書があらはれて、世を警戒することは、誠に時の得たものである。この中に収められたものの中には、今日の人が見て以て、或は考としないものがあるかもしれぬ。しかし大体の精神に於ては、大に翫味すべきものが多い。故に我輩は、この書の刊行を喜んで、世間の人と共に歓迎したいと思ふ。大正三年四月

この「古今孝子録」は大正三年五月の初版から大正十三年四月にかけて、百三十六刷にもなったというから、それだけ読まれたのだろう。教育については一概に語れるものではないけれど、良い刺激になった。しかし、古今孝子録そのものを扱った書籍が無かったことから、紹介するにあたり、ここに引用させていただいた。問題があれば削除したい。

念のため書いておくと、私は古今孝子録の内容は目にしていない。解説の流れから鑑みて、それまで紹介された資料にあったような実際の孝子譚をもっと読み易くしたものだろうという推察はしているが、理解しているとは言い難い。ご容赦願いたい。

孝経 全訳注 (講談社学術文庫)
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